徒然にゆびならし

趣味や好きな事(主に映画やダイエット体験談)を思うままに書き綴りたいと思うアラサー。

【ワンダー 君は太陽】これを観て「泣いてくれ」とか言わないけど是非観て欲しい。(感想、ネタバレあり)

少しブログを書くペースが落ちてしまいました。映画は確実に観に行ってるのですが、中々「よし、書くぞ!」と腰を据える時間が少なかった阪本です。

夏が確実に背後まで近づいてきている……本日は31度らしいです。

 

 

今日はタイトル通りですが、ワンダーを観たのでブログに書き綴ろうと。

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映画サイトはこちら

http://wonder-movie.jp

 

前情報なしと言うか、これも試写会に行けたので旦那と二人で観てきました。

「ワンダーと言う子がいるのだろうか」とか「あの子が被っているヘルメットはなんだろう」とか「話の筋はどんな感じだろう」とか、様々な錯綜が入り混じっていたけれど、観てびっくり。

「あっ。ワンダーって、名前じゃ無いのか!」

「えっ、こう言う題材なの?!」

等の感想が脳内をビュンビュン飛び交って行きました。

 

 

◆ストーリー

オギーは、ニューヨークのマンハッタンに住む小学5年生。生まれたときから顔に障害があり、その顔は何度手術をしても歪いたもので、そのため彼の両親たちが教師代わりだった。

そして、5年生に上がるのを機に一般の私立学校に通うことになる。

普段は宇宙飛行士がかぶるようなヘルメットで顔を隠しているオギー。しかし、この学校に入ってからは、人前でも素顔を晒さなければならなかった。

オギーには姉がいるが、オギーを可愛がる反面、ウチは普通ではないのだと悩む高校生。

学校では、彼の顔をからかう生徒や先生からの言いつけで友達となったようなクラスメイトたちと関わるオギー。

だが、オギーは子供たちの好奇の目に晒され続け、いつも孤独だった。初めは気の合う友達も作れず、食堂では誰も彼の隣に座ろうとはしない。

でも、同じクラスのジャックとサマーは、他の生徒とは違い本気で彼の友達になろうとしていた。

そこに、いじめっ子のジュリアンと彼の仲間はオギーにつきまとい、執拗にいじめを繰り返す。

 

そして、オギーが一年で一番好きな日、ハロウィンの当日。マスクで顔を隠したオギーを側で、ジャックの口から信じられない言葉を聞いてしまい、心の底から傷ついてしまう……

 

 

鑑賞後に、ふと幼少期の私を思い出した。

虐められた経験のある私には、少しだけ胃がキュッと締まる内容だと思う。でも、ストーリーはストンと収まりが良くて、気付けば泣いている私がいました。

 

 

ここから先は、鑑賞後の感想とネタバレが含まれます。下に行く際にはご注意を。

 

 

 

 

 

 

 

 

ストーリーは、登場人物毎にスポットを当てて進んで行くのが個人的に好みでした。

「あの子は一体何を考えているのだろうか」とか「この時、あの人は何をしていたのだろうか」など、ある種のオムニバス形式というか、知りたいところをちゃんと描写してくれていた。

特に、お姉ちゃんの親友ちゃんの言動が急に変わって、お姉ちゃんを突然無視したり服装が派手になったりとか、「うわーーーあるあるある、わかるし、よくあるよねー!!」と観てました。

よくある話なんだけど、なんで人って急に無視したり態度が変わったり、果ては去ったりするんでしょうか……

話が逸れました。

 

印象が強く残っているのが、ジャックのハロウィンでの言動。

オギーをいじめてる子達との談笑の中で本心が出てしまったのか、言わざるを得ない状況だったのか、わからないままに話は進む。オギーは悲しみに暮れながらジャックを避け、ジャックは「なんで?どうして?昨日まで友達だったじゃないか」と困惑の顔を見せていた辺りで、後者なのかなと感じました。後者だと信じたい。

オギーには、サマーという女の子の友人も出来て、観ていて少し安堵しました。

近くに誰かがいるという事って本当に救われるし、幼少期なんて友達がいない学校に行くなんて苦行とも思える。少なくとも当時の私には苦行でしかなかった……(小声

オギーは、両親(主に母上)から勉強を教わっていたこともあり、特に理科は成績が良く、クラスメイトから徐々に「オギーって凄いやつなんだな」と思われて行く過程も、とても好きです。

顔が全てじゃない。オギーは障害者でも発達障害者でもない。ただ顔が歪つという点で、心無い人間から心ない仕打ちを食らっていた。

また私の話になってしまうが、顔が歪だろうが違かろうが、虐めの標的になるときは標的になる。様々なパターンを見てきたし、体験もしている。今となれば笑い話にもできるけど、当時は生きることすら諦めていた時もあった。

自分に非があるのだろうか? 何処に? 一体何が悪かった? 虐めの原因なんて、いざ掘り下げると何もなかった、なんて話はザラだった。

ただ「あいつ、気にくわない」と、それだけ。

解決法なんて、本当に砂つぶくらいの確率しかないと思っている。

虐める奴らは(大袈裟かもしれないが)その人間の人生を握り潰しても、何も思わない類の人種だろうと(私は)思っている。

今後の人生で一番関わりたくない人種。あとは大声で周囲に威嚇する人間にも関わりたくない。身体が震えるんですよね……きっとトラウマかと。

また話が逸れた。戻します!

そんな悪辣な環境の中、オギーの容姿を叩いたメモを渡したり、いじめっ子がオギーを孤立させようとする描写は「なるほど、なんか懐かしいな……」と思いました。

そんな中でも、離れなかったオギーの友達たちに涙が出る。これって本当に奇跡みたいな事なんだよ……みんな自分の身が可愛いもの。

今度は自分が何かされるんじゃないか……とか二の次で、オギーの側にいてくれたサマーに花丸をあげたい。そして、キチンと仲直りができて友情復活を遂げたジャックにも花丸!!

そして一年、苦楽(主に苦の方が強かったかと思うけど)ありながらも学校に通い続けたオギーにも花丸をあげる!! 最高だぜ!!

 

この映画がフィクションだと聞いて、心底ホッとしたのを覚えています。

どこかのブログで「なんでオギー役を健常者(顔をメイクして酷く見せてまで)を起用したのか。と身体障害者の方々からクレームが来たと見かけて、ハテナが飛んだ。

フィクション(作り物)だから、私は「良かった」と安堵したが、これがドキュメンタリー映画で、同じ症状が出ているタレントないし俳優を起用したら、私はこんなに手放しで「良かった」とは言わなかったかもしれない。

この辺の話はナイーブな話題なので深く書くことはしないが、漠然と深い意味は持たずに良かったなと感想が出た。

この地球上では、実際に同じ症状で同じ境遇の人が苦しんで悩んでいるかと思う。

でも、それはそれ。これはこれ。

現実とフィクションを混ぜたらいけないと私は思っている。

この映画はざっくりと大団円で終わって、本当に良かった。フィクションなのだし、ハッピーエンドじゃなかったら、それこそ嘘っぽくなってしまいそう。

他にも書きたいことはあれど、この辺で締めたいと思います。

 

今年は個人的に映画の豊作年。

まだまだ観たいものはあるので、また良かったらブログを読んでいただきたいと思います。

直近は、インサイドとジュラワ続編! 楽しみです!